津田定雄を追って(『ヒロシマにかける虹』の背景)
この曲を演奏した際に背景資料の収集に苦労したので、探り当てた結果をまとめた団内向け演奏ノートを紹介します
詩の背景を探り始めたきっかけは、長男Sの『カルトのようだ』という不満の声。難解な詩ですが、曲の持つ “祈りのイメージ”の強さに「怒りと祈りのやや誇大な表現」程度の感覚で臨んでいました。SやK君の「きらいだ」発言で、背景の確認に慌てだしたのでした。
詩の書かれた時代と背景なりが判ればと、気楽に調べ始めましたが、ずいぶん苦労しました。書店はもとより、市立図書館・道立図書館にもなく、出版物や著者の検索には引っかからず、唯一発見したのが日本原爆詩集の中の「花崗岩」という詩一点だけ。あきらめかけていたところへ、広島県立図書館に『ヒロシマにかける虹』という本が1冊だけ残っていて道立図書館へ送ってくれるとの連絡が入り、ついに現物と対面しました。
古い本で壊れそうなのでコピーはできないとのこと。最終章Ⅰの部分をそっと開いて書写してきました。
1.津田定雄
津田定雄は、1945年に広島師範に入学、被爆したが運良く怪我はしなかった。戦後、バプテスト教会に入信し、YMCA活動を熱心に行っている。地歴を専攻したが、経済も学び、東洋思想の研究も深めた。この学問的経歴と信仰、被爆体験が渾然となり、彼のヒロシマについての論理構成を不可能にさせ、詩作に寄るしかないと決意させる。
広島で教師をしながら詩の創作を続けていた1975年、被爆30年を期に長年温めていた長篇叙事詩『ヒロシマにかける虹』の出版を企画したが、この年の7月、心臓麻痺のため急惜してしまう。結局、この詩は恩師である大原三八雄の編集、家族と関係者の自費出版という形で、世に出ることになった。
2.長篇叙事詩「ヒロシマにかける虹」
この詩は、1955年11月に平和公園の記念館から偶然見た虹と、その日見た自殺者のゴム手袋から受けた深刻な印象がきっかけとなっており、ビキニ環礁での水爆実験とこれによる第三の被爆が背景となっている。詩に登場する“ぼく”は作中人物であり作者自身とはいえず、詩の中のヒロシマも現実の広島ではない架空の世界と考えられる。
―以下、詩の大意―
被爆し剥れたマグロの鱗に導かれ、ぼくは不可思議の世界へ落ち込んでいく。
この世界でぼくは、神のごとき存在となり、神を創り、神と対立し、ナチスになり、ついには原爆投下の「犯人」となって神の世界を破壊しようとする。 飛び立った宇宙船の中、争いは頂点に達し、ついに爆発する宇宙船。弾け飛んだぼくは、血の渕の底で無になろうとしていた。
そこへ、一陣の風と光。
(終章Ⅰ 別紙参照)
気が付くとヒロシマ。まだ止まない戦争の気配。過去をいたむ祈り。原爆投下の真犯人を求める声。
慰霊の碑の下からよみがえるヒロシマの犠牲者。ぼくは「再び死の雲を立てないよう核兵器の廃絶を誓う」。
光がそそぐと死者たちの踊りの中でケロイドのイエスが十字架にかかっていた。
(終章Ⅱ 曲の部分)
ヒロシマの夜が明け、死者たちは消え、記念碑がよみがえる。平和が保たれている間、魚たちは死者たちと戯れる。
過ちを繰り返さないと決意するぼくと死者たちの霊は待つ。
その時、過去の対立は昇華され、絶対的な存在としての神に融合し溶け合って、ぼく自身もついに昇華してゆく。
再び、一陣の風。霊は滴る水となって虹を咲かせ、これに呼応して神もまた祈りの虹を咲かせる。
3.どう歌うか
超特急で「ヒロシマにかける虹」の大意を紹介しましたが、難解な詩です。津田定雄はこの詩によって原爆を投下する側を追体験し、その中に一片の論理性や倫理性も無いことを確認しました。そして、論理的な解明を断念した彼自身を含めた魂の救いには、もはや絶対的なものの存在が不可欠であると言おうとしているようです。
この詩をどう解釈し、この曲をどのように歌うかについて(高名な指揮者が「詩の細部にこだわらずそれぞれの平和への思いを込めて」とおっしゃっていたと聞いてますが…)、やはり彼が苦悩の末に到達した地点―ヒロシマは再び繰り返してはならない―をしっかりと踏まえて歌ってほしいものだと思います。
最後にプログラムに載せた演奏ノートを紹介します。
ヒロシマにかける虹
組曲「祈りの虹」の最終曲。組曲中では1~2曲目のすさまじい原爆の情景描写と、それへの怒りを経て、この第4曲で平和への祈りがうたわれている。
広島師範在学中に被爆した津田定雄が被爆30年目に出版した同名の長編叙事詩の最終章後半部分をテキストとしている。哲学用語の散見する難解なこの詩から、新実徳英は『すべてを超越した平和への思い』を読み取り、壮大な祈りの譜をかきあげた。
なお、曲の最終部分で歌われる『アベ・マリア』の言葉は原詩にはなく、作曲者の創意。冒頭と終曲部分はアルカデルトのアベ・マリアがモチーフ。
この曲を演奏した際に背景資料の収集に苦労したので、探り当てた結果をまとめた団内向け演奏ノートを紹介します
詩の背景を探り始めたきっかけは、長男Sの『カルトのようだ』という不満の声。難解な詩ですが、曲の持つ “祈りのイメージ”の強さに「怒りと祈りのやや誇大な表現」程度の感覚で臨んでいました。SやK君の「きらいだ」発言で、背景の確認に慌てだしたのでした。
詩の書かれた時代と背景なりが判ればと、気楽に調べ始めましたが、ずいぶん苦労しました。書店はもとより、市立図書館・道立図書館にもなく、出版物や著者の検索には引っかからず、唯一発見したのが日本原爆詩集の中の「花崗岩」という詩一点だけ。あきらめかけていたところへ、広島県立図書館に『ヒロシマにかける虹』という本が1冊だけ残っていて道立図書館へ送ってくれるとの連絡が入り、ついに現物と対面しました。
古い本で壊れそうなのでコピーはできないとのこと。最終章Ⅰの部分をそっと開いて書写してきました。
1.津田定雄
津田定雄は、1945年に広島師範に入学、被爆したが運良く怪我はしなかった。戦後、バプテスト教会に入信し、YMCA活動を熱心に行っている。地歴を専攻したが、経済も学び、東洋思想の研究も深めた。この学問的経歴と信仰、被爆体験が渾然となり、彼のヒロシマについての論理構成を不可能にさせ、詩作に寄るしかないと決意させる。
広島で教師をしながら詩の創作を続けていた1975年、被爆30年を期に長年温めていた長篇叙事詩『ヒロシマにかける虹』の出版を企画したが、この年の7月、心臓麻痺のため急惜してしまう。結局、この詩は恩師である大原三八雄の編集、家族と関係者の自費出版という形で、世に出ることになった。
2.長篇叙事詩「ヒロシマにかける虹」
この詩は、1955年11月に平和公園の記念館から偶然見た虹と、その日見た自殺者のゴム手袋から受けた深刻な印象がきっかけとなっており、ビキニ環礁での水爆実験とこれによる第三の被爆が背景となっている。詩に登場する“ぼく”は作中人物であり作者自身とはいえず、詩の中のヒロシマも現実の広島ではない架空の世界と考えられる。
―以下、詩の大意―
被爆し剥れたマグロの鱗に導かれ、ぼくは不可思議の世界へ落ち込んでいく。
この世界でぼくは、神のごとき存在となり、神を創り、神と対立し、ナチスになり、ついには原爆投下の「犯人」となって神の世界を破壊しようとする。 飛び立った宇宙船の中、争いは頂点に達し、ついに爆発する宇宙船。弾け飛んだぼくは、血の渕の底で無になろうとしていた。
そこへ、一陣の風と光。
(終章Ⅰ 別紙参照)
気が付くとヒロシマ。まだ止まない戦争の気配。過去をいたむ祈り。原爆投下の真犯人を求める声。
慰霊の碑の下からよみがえるヒロシマの犠牲者。ぼくは「再び死の雲を立てないよう核兵器の廃絶を誓う」。
光がそそぐと死者たちの踊りの中でケロイドのイエスが十字架にかかっていた。
(終章Ⅱ 曲の部分)
ヒロシマの夜が明け、死者たちは消え、記念碑がよみがえる。平和が保たれている間、魚たちは死者たちと戯れる。
過ちを繰り返さないと決意するぼくと死者たちの霊は待つ。
その時、過去の対立は昇華され、絶対的な存在としての神に融合し溶け合って、ぼく自身もついに昇華してゆく。
再び、一陣の風。霊は滴る水となって虹を咲かせ、これに呼応して神もまた祈りの虹を咲かせる。
3.どう歌うか
超特急で「ヒロシマにかける虹」の大意を紹介しましたが、難解な詩です。津田定雄はこの詩によって原爆を投下する側を追体験し、その中に一片の論理性や倫理性も無いことを確認しました。そして、論理的な解明を断念した彼自身を含めた魂の救いには、もはや絶対的なものの存在が不可欠であると言おうとしているようです。
この詩をどう解釈し、この曲をどのように歌うかについて(高名な指揮者が「詩の細部にこだわらずそれぞれの平和への思いを込めて」とおっしゃっていたと聞いてますが…)、やはり彼が苦悩の末に到達した地点―ヒロシマは再び繰り返してはならない―をしっかりと踏まえて歌ってほしいものだと思います。
最後にプログラムに載せた演奏ノートを紹介します。
ヒロシマにかける虹
組曲「祈りの虹」の最終曲。組曲中では1~2曲目のすさまじい原爆の情景描写と、それへの怒りを経て、この第4曲で平和への祈りがうたわれている。
広島師範在学中に被爆した津田定雄が被爆30年目に出版した同名の長編叙事詩の最終章後半部分をテキストとしている。哲学用語の散見する難解なこの詩から、新実徳英は『すべてを超越した平和への思い』を読み取り、壮大な祈りの譜をかきあげた。
なお、曲の最終部分で歌われる『アベ・マリア』の言葉は原詩にはなく、作曲者の創意。冒頭と終曲部分はアルカデルトのアベ・マリアがモチーフ。
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